川 崎 大 師
その5  経 蔵

秩父・最上・西国・坂東札所巡りへ
                       大本堂前に仏旗がたなびいていました。  お線香の煙も増えてきました。
                               仏旗(ぶっき)=「六色仏旗」「六金色旗」
                                     青は、仏陀の頭髪の色で「定根」をあらわします。
                                    黄は、仏陀の身体の色で「金剛」をあらわします。
                                    赤は、仏陀の血液の色で「精進」をあらわします。
                                    白は、仏陀の歯の色で「清浄」をあらわします。
                                    橙は、仏陀の袈裟の色で「忍辱」をあらわします。
                                    残りの色は、「輝き」をあらわします。
  
                            1880年 スリランカのコロンボでデザインされました。
                            1950年 第1回世界仏教徒会議(コロンボ)において正式に採択されました。
                            1954年 日本では、第2回日本仏教徒会議(永平寺)において採択されました。
お護摩受付所も混んできました。
新しくできました経蔵をお参りしました。 
経蔵本尊 説法釈迦如来(お釈迦様が悟りを開かれインド鹿野苑において初めて法を説かれたお姿であります。)が祀られています。
乾隆版大蔵経を収蔵しています。
大蔵経は、一切経ともよばれ、仏陀の説かれた教えの集成である「経蔵」、
僧としての生活規律を説いた「律蔵」、
それらの解釈をした「論蔵」の三蔵が集大成されたものです。
大本堂、大山門をあとにして参道に出ますと、これからお参りする人たちでいっぱいでした。
出来たてのくず餅をいただきました。やはり違いますね。出来たては旨すぎます。お土産を持って京急電車(5分間隔)で帰りました。
久寿餅(くず餅)のいわれ
 天保の頃(1830〜1840)大師河原村に、久兵衛という者あり、
風雨強き夜、納屋に蓄えた小麦粉が雨で濡れ損じたため、
己むなくこれをこねて樽に移し、水に溶いて放置しました。
 翌年の飢饉に際し、思い出して調べたところ歳月を経て発酵し、
樽の底に純良なる澱粉が沈殿しているのを発見しました。
これを加工し、蒸し上げたところ、風変わりな餅が出来上がりましたので、
早速この餅を時の三十五世隆盛上人に試食を願いましたところ、
その味淡白にして風雅なのを賞して、川崎大師の名物として広めることを奨めると共に、
「この餅の名は、久兵衛の久の字に、無病長寿を祈念して寿の一字を附して、久寿餅とされるが宜しかろう」
と、それ以来川崎大師にては、葛餅(くずもち)のことを久寿餅と記されるようになりました。

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